2012-10-12

怖くない

私の数少ない子供の頃の記憶の一つに、
夜中「死ぬのが怖い」といってわんわん泣いたことがありました。
なんでそんな気持ちになったのかは全然覚えていませんが、
死ぬときってどんなに痛いだろうとか、そんな感じだったんだろうと思います。

飼っていた鳥や金魚が亡くなったときはさんざん泣いてから庭に埋めてお墓を作ったもんです。
幸せなことに、身近な人が亡くなるという経験は社会人になるまでありませんでした。

社会人1年目で新しい環境にうかうかしていた時、
13年間一緒だったすーちゃん(猫)が病気で旅立ちました。
2年目の春にはおじいちゃんが老衰で。
その秋に結婚して家を出た矢先、高校の帰り道に拾って以来9年間元気だった
じっちゃん(猫)が猫エイズを発症して闘病の末、冬に亡くなりました。
めちゃくちゃに悲しくて、何もしてあげられなかった自分を憎んだし、
その後1年くらいは夜になると思いだして泣いてしまう日が続きました。

ずっとそばにいてくれた家族の死というのは、つらい。

先月、もう一人のおじいちゃんが亡くなりました。
1年前から入退院を繰り返し、最後の数ヶ月間は会話もできず、
意識もあるのかよくわからない状況でした。
でも今年春に一時自宅に戻っていた時に、ご主人と一緒に会いに行った時。
はじめて戦争の体験を話してくれました。
うちは姉妹なので、男性であり少し距離のあるご主人が話しやすかったのかもしれません。
船上で激しい攻撃にさらされ、仲間たちの多くが亡くなったこと、
マングローブの中に迷い込み頭を大けがしたこと。
(その怪我の位置が、脳腫瘍の位置と一致していた)

そして執筆をライフワークとしていたおじいちゃんの、
短編小説が掲載された文集を何冊か、おもむろに渡されました。
私は「借りた」つもりだったんですが、形見になりました。

読んでみると、すべて戦争をテーマにした小説でした。
特に沖縄での戦闘や、その後沖縄がおかれた立場を題材にしていました。
分かりませんが、時々耳にするように、「自分だけ生き残ってしまった罪悪感」を
おじいちゃんも持っていたのかな、と感じます。
それと戦争の末に沖縄が置かれている特殊な状況に対するもどかしさ。
まだ戦争は終わっていない、と言っているような…。

ぶっきらぼうで近寄りがたかったおじいちゃんだったけど、
背負っているものも大きかったんだと今になって気づかされたような気がしました。

そういう人の死。

別れ難い寂しさでお葬式を執り行い、
火葬後の骨上げで重々しい気持ちは不思議と軽くなります。
亡くなった人が苦しかった肉体から解放されることは、
見送る私たちにとっても、悔しいとか悲しいという感情よりも、
見送りつつ、形を変えて心の中に生き続けるという気持ちにしてくれる。
儀式の持つ力に助けられて、私たちはまた普通の生活に戻る。

前のおじいちゃんの時も、すーちゃんとじっちゃんのときもそうでした。
思い出して泣くのは、自分を責めてしまうから。

私は、もう自分が死ぬことを怖いとは思わなくなりました。

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