2012-10-26

ありがとう哲学

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なんにもできない体が動かない頭も働かない日、
とりあえず書店に行って見つけてきた本。
入口付近で目にとまった「超訳ニーチェの言葉」。
ベストセラーらしく、何ページか見てみると
それなりにふむふむと思える言葉がたくさん。
でもいきなりニーチェはこう言った!という思想を頭に流し込んでも、
ただの洗脳みたいになっていかにも自分が病んでるみたいで嫌だなぁ
と思って新書コーナーで見つけたのがこの本。

ニーチェは難しい言葉をたくさん残して、中には過激な言葉もあるけれど、
どうしてそんなことを言ったのか?
ニーチェ自身の経験や考え方の裏を探って、彼の言葉の本当の意図を知ろう
という優しい本。
「哲学」というと敬遠しがちだけど、これはすんなり納得しながら読めた。

ニーチェの人生に少し自分をシンクロさせながら。
最近自分のした選択が間違ってなかったと勇気づけられながら。

たぶん誰が読んでも勝手に自分をあてはめながら読むことができると思う。
時代が変わってもそうやって読める哲学はすごいと思う。
でも、だからこそ、ニーチェは超人ではなく、ごくふつうの一人の人間だったんだろうな。

一度この本を読んでおくと、自分の思考回路をあてはめて
あぁ、この感情はニーチェの言うあれだな、と分かる。
そうすると、ひねくれたり、悲観したり、怒ったりすることに
本当に意味があるのか分かって、回復が早くなると思う。

少なくとも私は、今まで泣いたり怒ったり悲観したこともたくさんあったけど、
そのすべてが今は肯定できるような気がしている。
ダメだった、と思ったことはすべて自分が勝手に築き上げていた
「本当はこうあるべき」というもの、ではなかった、というだけで、
あるがままの自分、あるがままの世の中を受け入れて考えればよかった。
「ほんとうは・・・」「どうせ・・・」という現実を否定する考え方は
自分の時間を無駄にする。
人を羨ましいと思ったり、自分にうぬぼれる暇があったら、
自分がどうありたいかを考えたらいい。
実行するのは難しくても、その気持ちが自分を励ましてくれるはず。

ニーチェの著書はたぶん難しくて読めないけど、
この本だけでも読んでおく価値、大。
毎日楽しくて幸せいっぱいの人は読まなくていいけど
仕事とか、人間関係とか、少し自分の中に迷いがあるときに読むと、
気持ちが軽くなって楽しくなります。

2012-10-12

怖くない

私の数少ない子供の頃の記憶の一つに、
夜中「死ぬのが怖い」といってわんわん泣いたことがありました。
なんでそんな気持ちになったのかは全然覚えていませんが、
死ぬときってどんなに痛いだろうとか、そんな感じだったんだろうと思います。

飼っていた鳥や金魚が亡くなったときはさんざん泣いてから庭に埋めてお墓を作ったもんです。
幸せなことに、身近な人が亡くなるという経験は社会人になるまでありませんでした。

社会人1年目で新しい環境にうかうかしていた時、
13年間一緒だったすーちゃん(猫)が病気で旅立ちました。
2年目の春にはおじいちゃんが老衰で。
その秋に結婚して家を出た矢先、高校の帰り道に拾って以来9年間元気だった
じっちゃん(猫)が猫エイズを発症して闘病の末、冬に亡くなりました。
めちゃくちゃに悲しくて、何もしてあげられなかった自分を憎んだし、
その後1年くらいは夜になると思いだして泣いてしまう日が続きました。

ずっとそばにいてくれた家族の死というのは、つらい。

先月、もう一人のおじいちゃんが亡くなりました。
1年前から入退院を繰り返し、最後の数ヶ月間は会話もできず、
意識もあるのかよくわからない状況でした。
でも今年春に一時自宅に戻っていた時に、ご主人と一緒に会いに行った時。
はじめて戦争の体験を話してくれました。
うちは姉妹なので、男性であり少し距離のあるご主人が話しやすかったのかもしれません。
船上で激しい攻撃にさらされ、仲間たちの多くが亡くなったこと、
マングローブの中に迷い込み頭を大けがしたこと。
(その怪我の位置が、脳腫瘍の位置と一致していた)

そして執筆をライフワークとしていたおじいちゃんの、
短編小説が掲載された文集を何冊か、おもむろに渡されました。
私は「借りた」つもりだったんですが、形見になりました。

読んでみると、すべて戦争をテーマにした小説でした。
特に沖縄での戦闘や、その後沖縄がおかれた立場を題材にしていました。
分かりませんが、時々耳にするように、「自分だけ生き残ってしまった罪悪感」を
おじいちゃんも持っていたのかな、と感じます。
それと戦争の末に沖縄が置かれている特殊な状況に対するもどかしさ。
まだ戦争は終わっていない、と言っているような…。

ぶっきらぼうで近寄りがたかったおじいちゃんだったけど、
背負っているものも大きかったんだと今になって気づかされたような気がしました。

そういう人の死。

別れ難い寂しさでお葬式を執り行い、
火葬後の骨上げで重々しい気持ちは不思議と軽くなります。
亡くなった人が苦しかった肉体から解放されることは、
見送る私たちにとっても、悔しいとか悲しいという感情よりも、
見送りつつ、形を変えて心の中に生き続けるという気持ちにしてくれる。
儀式の持つ力に助けられて、私たちはまた普通の生活に戻る。

前のおじいちゃんの時も、すーちゃんとじっちゃんのときもそうでした。
思い出して泣くのは、自分を責めてしまうから。

私は、もう自分が死ぬことを怖いとは思わなくなりました。

2012-10-07

ときどき詩

 
 
とくに造詣があるわけでも理解があるわけでもないですが
時々アマゾンで詩の本を物色して買ってしまいます。
物色した結果、いつも長田弘さんのもので、今家には4冊あります。
全部は読んでいないし、正直一度読んだかどうかも分からないくらい、
思い入れのない本たち・・・。
でも、私にとってはそれこそが詩の存在意義になっています。
 
何にも考えたくないとき、考えられないとき、手持無沙汰な時に、
適当なページを開いて読み始めます。
読むと言っても字を目で追う程度ですが、頭を使うことなくいい時間が過ごせる気がします。
作者が眼にした風景を描いている詩。
難しい言葉を使わずに、淡々とした表現のおかげか、
自分も見たことのある風景や想像の中の風景が頭の中に浮かんできます。
 
これが頭のストレッチをしているみたいで、いい感じです。
短い時間で、適当に呼んで、しおりもせずに閉じる。
次回はどこから読むか決めずに、たまたま開いたページや
気になった言葉のところから読み始めます。
 
新しい本との付き合い方。絵本に近い存在かも。